【上田城】2度にも及ぶ徳川家の攻撃を防いだ長野が誇る名城

上田城は長野県上田市にある城跡です。日本100名城にも登録されている長野県が誇る難攻不落の名城です。そんな上田城はいったい誰が建城して何年ごろに建てられ、どのような歴史があるのか見ていきたいと思います。

上田城の歴史は?誰が築城した?

上田城の歴史

上田城は今から約500年前の天正11年(1583年)に戦国時代の武将『真田昌幸』によって築城されました。2度の上田合戦で徳川軍を撃退した難攻不落の城です。関ヶ原の合戦後破却された上田城ですが仙石氏が城主の時代に再建され、7基の櫓(やぐら)と2基の櫓門が建てられました。明治維新後、西櫓1基を残しそのほかの櫓・櫓門は取り払われました。城外に移築されていた2基の櫓は後に買い戻され、昭和18年(1943)から24年にかけて現在の南櫓・北櫓として再移築されました。平成6年(1994)には東虎口櫓門が復元されました。

城郭の詳細データ

城名上田城(うえだじょう)
日本100名城/続日本100名城日本100名城 27番
天守構造不明
築城年月日天正11年(1583年)
廃城年月日明治7年(1874年)
城地種別平城
国名信濃国
築城者真田昌幸
主な城主真田氏、仙石氏、松平氏
残っている遺構櫓、石垣、土塁、堀
別名尼ヶ淵城、伊勢崎城、松尾城、真田城
文化遺産等登録情報国の史跡

上田城の歴史を時系列で簡単にみてみよう

  • 天正11年(1583)真田昌幸が上田城の築城に着手。
  • 天正13年(1585)昌幸、家康から上杉景勝に転属。徳川軍が上田城を攻める(第一次上田合戦)。
  • 天正14年(1586)豊臣秀吉に臣属。昌幸の城下町整備に関する最古の文書(願行寺文書)が残る。
  • 慶長 5年(1600)関ヶ原合戦に際し、昌幸・幸村(信繁)父子上田城に籠城、徳川秀忠軍を退ける(第二次上田合戦)。
    合戦後、家康の命により諏訪頼水、依田信守、大井政成ら上田城番として入り、上田城の堀を埋め、塀を破壊。昌幸・幸村は高野山に配流。
    上田領は徳川方についた長子信之に与えられた。
  • 元和 元年(1615)大坂夏の陣で幸村戦死。

上田城をGoogleストリートビューで見てみる

上田城の御城印とスタンプ情報

100名城スタンプ情報

番号日本100名城 27番
スタンプの設置場所上田市観光会館
上田市立博物館(上田城跡公園内) 
スタンプを押せる時間8時30分~17時00分(入館は16時30分まで)
スタンプ
上田城の100名城スタンプ
100名城スタンプ

御城印情報

御城印の有無あり
御城印の販売場所上田市観光会館2階
眞田神社
御城印販売時間8時30分~17時00分(入館は16時30分まで)
料金300円
御城印画像

 

 

上田城への交通アクセス

ジャンルお城
エリア甲信越/長野県
住所〒386-0026 長野県上田市二の丸4−6
HP
営業時間8時30分~17時00分(最終入場は16時30分)
料金【入館料】(博物館・上田城櫓・山本鼎記念館共通観覧料金)
・一般250円高校生以上の学生180円小中学生60円
駐車場
 周辺の宿を探すじゃらんで探す
楽天トラベル
ツアーを探してみる
※最新情報は施設公式HPを確認ください。

上田城周辺の合わせて行きたい歴史スポット

攻城ポイント

おもな見どころは、北櫓、南櫓、西櫓、土塁、石垣、堀等は絶対抑えておきたいポイント。本丸東虎口の右側にある場内で最大級の『真田石』も迫力があります。また、春になると平成6年に再建された櫓門周辺の桜とコラボが美しい絶景です。

 

上田城
上田城
素材:PIXTA

フォトギャラリー

 

上田城
良かったらフォロー宜しくお願い致します。