広島城【日本100名城 No73】

広島城は広島県広島市の中国放送の前にあるお城です。天守をはじめ1945年まで現存していましたが、第2次世界大戦の広島原爆投下により焼失しました。現在の姿は1958年以降に再建されたものです。

広島城の歴史

16年(1588)、輝元てるもとは初めて上洛し、秀吉に謁見えっけんしました。その時に大坂城・聚楽第じゅらくだいを訪れ、その豪壮さや町の繁栄を目の当たりにした輝元てるもとは、郡山城こおりやまじょうがすでに時代遅れであることを悟り、新しい城づくりを決意したと言われています。そして中国地方一帯を治めることができる城と城下町建設のために城地じょうちとして選んだのが祖父元就もとなりが重視していた広島湾頭だったのです。翌17年(1589)、太田川デルタ周辺の山々から城地を見立て、築城を開始しました。当時、「五箇ごか」と呼ばれていたこの地が「広島」と名付けられたのはこの時であったとも言われています。
城地じょうちとして選ばれたのがデルタであったため、地盤が軟弱で難工事となりましたが、工事は急ピッチで進められ、2年後の同19年(1591) には輝元てるもとは入城を果たしています。しかしこの時は本丸ほんまるなどの主要な部分が出来ていただけで、石垣や堀は未完成だったようで、その後も工事は進められました。天正てんしょう20年(1592)に秀吉が広島に立ち寄り城を見た時も未完だったようで、文禄ぶんろく2年(1593) に石垣が完成、慶長けいちょう4年(1599) に落成らくせいしたとする記録が残されています。しかし、翌5年(1600) 、関ヶ原の合戦において敗れた西軍の総大将であった輝元てるもとは、徳川家康によって「周防・長門すおう・ながと」(山口県)へ転封てんぽうになりました。

引用:(公益財団法人広島市文化財団 広島城HP)より

城郭データ

城名広島城(ひろしまじょう)
日本100名城/続日本100名城日本100名城 73番
天守構造復興天守
築城年月日1589年(天正17年)
廃城年月日1874年(明治7年)
城地種別平城
国名安芸
築城者毛利輝元
主な城主毛利氏、福島氏、浅野氏
残っている遺構石垣、堀
別名鯉城、在間城、当麻城
文化遺産等登録情報国の史跡

広島城をGoogleストリートビューで見ている

広島城の御城印とスタンプ情報設置

100名城スタンプ情報

番号日本100名城「73番」
スタンプの設置場所天守閣1階 ミュージアムショップ
スタンプを押せる可能時間【3月~11月】9:00~18:00(入館17:30まで)
【12月~2月】9:00~17:00(入館16:30まで)
スタンプ画像

御城印情報

御城印の有無あり
御城印の販売場所天守閣内
販売時間9時00分~18時00分 【休館日は除く】
料金一枚300円
御城印フォト

 

日本100名城マップ

 

広島城への交通アクセス

ジャンルお城
エリア中国地方/広島県
住所広島県広島市中区基町21−1
電話番号
082-221-7512
HP
駐車場あり
備考

周辺の歴史スポット

攻城レビュー

お堀の周りを船で回る遊覧船があったり、中に入ると廣島護國神社もありそこで参拝やおみくじ等も引けます。
鳥居の手前には小さい茶屋的なお土産屋さんがあり、そこで飲んだコーヒーが妙にうまく感じた広島城の店主は5階建てです。5階っていうと以外に低く感じますが、遠くには厳島もはっきり見えて天守閣に行くと相当眺めがいいです。今みたいに高い建物もなかった当時はどんな光景が広がってたのかと想像すると浪漫を感じます。

広島城の写真ギャラリー

復興天守広島城
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